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リバアシ(岩手県大船渡市)

岩手県大船渡市から地域情報や地方の話題への感想を伝えるブログです。なお、当ブログの記載内容は当ブログ管理者個人の見解になります。

「コンパクトシティを考える、どうでもいいという言葉」-記事感想:142

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全国各地で広がるコンパクトシティ化と土地活用

内容

 二つの県の事例に見る、コンパクトシティのメリット。

雑感

 コンパクトシティの事例として、青森県富山県での事例が紹介されています。

 青森県の事例については、度々失敗だと言われていますが、構想そのものが失敗だったというよりも、その運営の在り方に問題があったことの方が大きく、この失敗がコンパクトシティ構想それ自体の失敗かと言うと、必ずしもそうとは言えないというのが実際のところではないでしょうか。

 そもそも地力が無ければ、何をやったところで失敗するわけで、それを考え方と言いますか、手段による失敗だとするのは中々ご都合主義が過ぎるのではないかと思う次第です。

 例えば、何らかのスポーツ競技において、素人手段がプロの使う道具や戦術を用いたところでプロに勝てるかと言えば、そうは言えないのと同様です。

コンパクト化の何が良いの?

 コンパクトシティ化のデメリットは少なからずありますが、メリットが多いのも事実です。

 特に、高齢化率の高い地方にあっては、移動にあたって自動車を必要とすることが多く、年を経るごとに、買い物はおろか通院や行政の利用といった生活を行うのに最低限必要となる行動を取ることが難しくなります。

そのような行動は、可能な限り徒歩圏内で行えるのが好ましいと感じるのは私だけではないでしょう。

 まして、高齢者による自動車事故が増えている昨今です。ある程度の年齢になった後は運転を行わないようにすることが本来理想的なはずです。

 コンパクト化は集中を生み出すことであるため、必然的に行動範囲を狭くすることが可能になります。それによって、長距離の移動を必要とすることが減り、徒歩圏内で行えることが増えます。また、人口が集中することで、公共交通機関も少ない数の住民のために運行距離を徒に長くしなくて良くなるため、運営が行いやすくなります。乗客が少ない上に移動距離が長くなるというのは好ましいことではなく、そういった地区まで走らせなければならないといった現状は、運行本数の減少などで感じられる通り、相当な負担となっており、本来の役目を果たす上での障害にもなっています。

 大船渡市においては、一部の地区に対してコミュニティバスなどを検討する動きが出ていますが、コンパクト化を行い、住民が住む地域を集約することさえできれば、そのようなコストはそもそも不要なわけです。

 一見利便性が向上しているため、その地域の住民からすれば有難い話だと思いますが、極一部の人のために多大なコストが生じさせることは、全体から見れば無駄以外の何物でもありません。行政の役割としても褒められることではありません。

 コンパクト化のメリットの際たるものとしては、公共施設など特定のインフラにかかる維持費などのコストを相当量削減することが可能になることです。

これによって生まれた財源を元に、行政サービスを向上させることが可能になります。

基より財源の乏しい市町村にとっては、これ以上ないメリットと言えるでしょう。

 やはり大船渡市を例にしますが、例えば、コンパクト化が行わることで、少なくとも学校の数を大きく削ることが可能になります。公民館の類いも集約が可能になるでしょう。水道に関しても、ある程度維持費を抑えられますし、道路についても同様です。

 これによって、教育にかけられる財源が増え、今よりも充実させることができたり、水道料金の負担が減ったり、少なからず多くの住民が恩恵を受けられるようになる可能性が生じます。学校を集約させることで、災害時の拠点化整備といったこともできるかもしれません。

 加えて、行政サービスを行うに際する時間的のコストや労務コストも減りますので、当然市役所の職員数や市議会議員数などを削減することも容易になります。大船渡市においては、その働きが不満ばかりを生んでいるそれらの職員ですが、それを削ることができるとなれば、日頃無駄だと感じられている、その無駄が減りますので、とても好ましく感じられることでしょう。そうして浮いた予算が、産業振興や福祉の向上に繋がるのですから、これほど喜ばしいことはありません。

 人口の集中が生まれますので、総人口数が現在と同じであっても、商店などの事業は今とは比較にならないほど運営しやすくなるでしょう。もちろん、これは経営者の能力にかかっているものであるため、自然に良くなるものとは言い難いですが、現在のように人が方々に散らばっているような状態とは比較にならないほど、集客のしやすさなどが向上します。移動コストが減ることで買い物に前向きになる人も増えるでしょうから、見込み客の増加も図れます。そして、商店が活気づくことで、それが他の企業にも波及しますし、新たな事業を興しやすくなることで、町そのものの士気が上がります。若者にとってもチャレンジしやすくなるため、地元に対する価値観も変わるかもしれません。

 このように、コンパクト化には多大なメリットがあるわけです。

良いことなら何で広まらないの?

 コンパクト化に多大なメリットがあるにもかかわらず、しかし現実問題、地方においては依然としてコンパクト化の動きはそう多くありません。

 コンパクト化を行う最大の好機に恵まれた被災地においてさえ、それは成されず、あろうことか方々に災害公営住宅が建つ始末です。

 それは、自分の生まれた地域に固執する自己都合的な考え方によるものであることは否定できません。地方、特に田舎ほど、土地に執着する人は多く、利便性を求める割に自身はそのための行動を起こそうとする人は滅多にいないという矛盾があります。

 家業の関係でどうしてもその地域に住まなければならないという人もいますが、あくまでそれは極々一部に過ぎません。

 過疎化が進んでいる地域においても、その地域を捨てるという発想ができず、そこにも価値があるのだと無策ながらに叫ぶばかりといった状況すら見えます。

 コンパクト化が進まない背景にある大きな問題は住民の感情的なところです。

 しかし、それだけではありません。

 コンパクト化を成功させるには、町の任意の場所に多くの施設を集めることだけでなく、住民自体も集める必要があります。

 つまり、誰にとっても初期コストが膨大なのです。

 地方の将来を思えば、コンパクト化は必須と言えます。それができない地域は消滅を免れません。

 しかし、そのためには、建物も人も移動する必要があります。

 個々人で行うには余りにもコストが高く、できる人とできない人に分かれてしまいます。

 特にも、できない人については行政のサポートが必要になりますが、行政と言えど莫大な予算を割けるかと言えば、そのような地方は財源に乏しいことが珍しくなく、そういった財政の下ではいたずらに支援ができません。まして、断固として反対する住民などが出れば、その分時間がかかり、コストはより一層膨らみます。中途半端に行えば負債が生まれるだけであり、一旦行動に移してしまえば後戻りがききません。それを考えれば、慎重にならざるを得ません。

 災害公営住宅や住宅の再建に伴って、コンパクト化を進めることができたはずの被災地ですら行われず、また浸水地にすら自宅再建を強行する人が出ている現状からも難しさは垣間見えます。

 そうはいっても、このままでは地域そのものが倒れます。

 合成の誤謬と言いますか、人は結局主観的にしか物事を判断できない身勝手な生物でしかないと言いますか、全体最適とは常に選ばれないものです。

痛みを負うか、座して消えるか

 地方創生、地域活性化が叫ばれる昨今、少子高齢化や人口流出による過疎化が問題されることからも想像できるように、何をおいても人の数が重要とされ、また同じ数であればそれは集中させることが機能面や効率面から地域にとって良い循環を作ることに繋がります。

 起業や産業の構築を推進することについてもやはり人口の集中があるとないとでは天と地の差であり、東京と地方とを比較すればそれは目にも明らかです。

 今の地方はなるべくして衰退しており、それは何も東京のせいではありません。数々のすべきことをしてこなかった地方の問題と言えます。現状を思えば、地方創生や地域活性化をいくら叫んだところで、何をしようとしたところで、それは時間稼ぎにしかならず、日本という国全体から見れば、ただ疲弊するだけではないでしょうか。今の状況からの自然な流れを見れば、地方の大半、元々の地力がない地域は消滅の一途です。

どうしたところで、全体を活かすことも、生かすことも不可能。

 選択と集中

 必要な地域とそうでない地域の見極め、そして取捨選択。多くのことをサボってきたツケは払われるべきではないでしょうか。それができないのであれば、多くを失くすことは黙して受け入れるべきことだと考えます。

 

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雑記

「どうでもいい」という言葉をよく使ってしまいがちなのですが、その実、この言葉が孕んでいる矛盾点について気にならないかといえば、決してそういうわけではありません。

 何が言いたいかというと、無関心を示す言葉である「どうでもいい」という言葉を任意の対象に向けている時点で、それは関心を示していることに外ならず、言葉が表す意味とは矛盾した使われ方がなされているということです。

 真に無関心であるならば、何も言葉すら向けずに放っておけば良いものを、寧ろそうするべきところを、わざわざ「どうでもいい」などという言葉をかけて、気にかけてしまっている。ツンデレと言うのですか? 素直じゃないですし、率直でもない。非効率ですし、不合理です。

 しかし、それでもこの言葉を口にしてしまうわけですから、間違っていると分かりつつもつい言ってしまう「させて頂く」みたいな中毒性を感じる始末です。

 そうはいっても、やはり間違っている以上、素直になれないことを素直に認めるか、そうでなければ。何らかの言い訳はしたいところです。

 どうでもいいなら「どうでもいい」なんて言葉を向けることすらしないだろうという言い分に対する言い訳です。

 これは、間違いなく「どうでもいい」を無関心という意味合いで使う以上、言い訳のしようのない核心的な指摘であることは、否定しようのない事実であるため、それを踏まえてしまっては敗色濃厚と言いますか、勝算は皆無でしょう。そうであるならば、その言葉は、実は別の意味で使ったのだということを示す以外に対抗のしようがありません。

「どうでもいい」という言葉に、無関心以外の意味なり意図なりを与えるのです。

 そのために、「どうでもいい」という言葉をどういった場面で使うかを想像しまして、その上で、異なる意味なり意図なりで解釈できる場面として、何かを選ぶことを指示された際や何かを選んでいる最中の人に助言を求められた際に使っていることを思い浮かべた次第です。要は「好きにしてください」という意味なり意図を示す場合。

 これならば、無関心という意味合いが含まれていないとは言い切れないものの、直接それを示すことにならないため、どうにかこうにか言い訳に使えそうです。

 と、ここまで考えて思ったのは、こういった思考自体が「どうでもいい」ということで、それこそどうでもいいことに時間を使ってしまったと思う次第です。


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